BACKBEAT2023
私はQUEENが好きだ。
中学一年生の時にDon't Stop Me Nowを聴いた時の衝撃を今でも覚えている。あの急角度からくるインパクトのあるサウンドが好きだ。叩きつけられたら二度と忘れられないようなキャッチーなサウンドが。音域の広いFreddie Mercuryの超人的な歌声が。Brian Mayのザクザクとしたギターが。
キリがないけれどなにを言いたいかというと私にとってBeatlesは大人しい印象にあった。穏やかなハーモニーで音がマイルド。衝撃というより心地良さを感じる。上品だとまで思っていた。
私は何も知らなかったんだな。
BACKBEATという作品に出会うまでは。
リヴァプールも決して高尚な街ではない、ハンブルクの時だけではなく、あの時代に生きていくためには、数多あるロックバンドの郡から抜きんでるためには、穏やかではいられない。
私はハンブルク時代の五人に惚れ込んでしまった。Tommy Moore も Norman Chapman も Chas Newbyも、かの有名なRingo Starrも知らない。
John LennonとPaul McCartney、George Harrison、Pete Bestそして Stuart Sutcliffe。
この五人が愛おしくて堪らなくなった。
BACKBEATは史実を元にした創作物、つまり私は実際のBeatlesについての知識は全くない。
BACKBEATの五人が好きだからといって実際のBeatlesのあの当時の五人が好きだとは限らない。
BACKBEATとはある程度切り離して考える必要がある。
本来であればBeatlesのことを熟知した上でBeatlesとAstrid、Beatlesとヨーコとの関係の違いについて考えようと思っていたがこれは多方面に失礼にあたるだろうか。
限りなく保身した上で本題に入るが、私はQUEEN贔屓でBeatlesのハンブルク時代を描いたBACKBEATをわずか2回観劇したのみ。更にはWikipediaとファンのブログを読んだだけで実際のBeatlesについてまで触れようとしている大馬鹿者である。以後承知の上!がってん!
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衝撃を受けた。
マッシュルームで型のしっかりしたジャケットを着てセピア色を帯びた雰囲気のイメージを覆す。
ドラッグ、セックス、ロックンロール。
オールバックに真っ黒の皮のジャケットを着た刺々しさを纏った男たち。
本能に忠実、動物的で自分勝手、でも奇跡的にそのベクトルがみんな揃って音楽に、芸術に、ロックンロールに向いた男たち。
観劇者なんてものじゃない。
私は時代を超えてその束の間の目撃者になれた。
私が生まれた頃には既にジョンは亡くなっていて、Beatlesは伝説になってしまった。そんな彼等に会うことが出来る。そんな不思議な体験だった。
このバンドはジョンとポールのもの。
これをポールに告げられた時スチュに固執しアストリッドに嫉妬するジョンが、「嫉妬してんのか」と揶揄するのがたまらない。本作で相互に執着するのはスチュとアストリッドだけだ。
そんなスチュもやがてこの世を去る。
マイナスな感情が、実らない感情が多いのにも関わらず疾走感がある、青春すら感じさせるのはこれもロックンロールの精神のせいか。
ロックンロールとは。
ビーバッパルーラとは。
それを言語化するのは野暮だと思う。
本作を観た人間ならば脳ではなく魂で感じたであろうこの感覚は。
そんなロックンロールを、ドラッグさえも許容出来た私がアススチュの情熱的な愛を許容出来ないのは何故か。本能的で自分勝手なのは同じなのに。私はただその犠牲を見なかっただけに過ぎない。アススチュの犠牲になったBeatlesだってピートを犠牲にしたのに。ロックンロールに生きるということはそういうことなのに。私はロックンロールを楽しみながらも、その犠牲に胸を痛めた。
違う、愛は変えた。ロックンロールを変えた。
愛とは自分の考えをも変えてしまうものだと思う。
それを強く感じたのは、スチュがアストリッドのために教員免許を取ろうとした点だった。
スチュは芸術家だ。画家の手をしている。
情熱を注いだバンドよりも優先したもの、それは絵だったはずなのに。
スチュはアストリッドとの結婚のために、教員免許を取得しようとした。
これが全然ロックンロールじゃない。
高尚な芸術と低俗な芸術、その枠組みに歯向かうような男が一度でも愛、それも恋愛のためにロックンロールを捨てようとした。無論ロックンロールは言語化しないことで私の中では定義化されていないため、一概には言えないけれど私は一目撃者としてそう感じた。
私は恋愛感情があまり理解出来ない。
相手の幸せを思う気持ちは分かる、だがしかしそれに同席したいと思う気持ちが分からない。アストリッドがスチュの髪型を変えるシーン、アストリッドがスチュへのポリシーに深く踏み込んだ時。私はここが嫌い。だけどきっぱりと線引きするスチュが好き。
スチュがBeatlesのレコーディングより自分を優先したことを知った時、理性的なアストリッドがスチュに警告する立場にあったのに、今度はスチュが自分の大切なもののためにアストリッドに反論するシーン。
「わかった」「わかってくれた」
ここは愛があって好きだ。
自分の考えにまで影響を与えてしまうのに、Beatlesに引き止められない愛が嫌い。
私にはアストリッドよりジョンの方がスチュへの愛が大きく見えた。
スチュの生前、アストリッドもそれを理解していたはずなのに、スチュの葬儀で泣かないジョンを責めて罵倒するシーンが嫌い。賢いはずの女性を愚かに見せてしまう愛が嫌い。
あんなにスチュのアストリッドへの執着に嫉妬していたジョンが、アストリッドを「ただの女」といったジョンが、抱擁するスチュとアストリッドを何度も引き剥がして、そして最後に抱きしめたジョンがやがてヨーコに執着するのが嫌い。
私にとって愛の美しさと醜さを見せてくれたBACKBEATが愛おしい。